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トランス@America !(feat オイスターボーイの逆襲)
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彼はアルコールが必要だと思い、上の階のパブに行くことにした。トランクの中のオイルサーディンはまだしばらく眠っているだろう。流水で顔を洗い、トイレットペーパーで顔を拭くと、細かいティッシュの縮れたものが張り付いた。顔を洗い、拭く以上の稼働がかかった。非生産的だな、とトーマスべガスは考えた。エレベータに乗り、再び上昇する。今日は何度かの下降と上昇を繰り返している。こんなときに大きな地震がきたら全ては終わりだろう。彼は 彼女 と同じように監禁され、ドアが開いた時には公安かFBIが待っているのだ。旧KGBかも知れない。そのようにして、苺の種みたいな妄想が膨らむ間、静かにエレベータは上昇を続けていた。 扉は開き、そこには誰もいなかった。パブに入ると教養のなさそうな女にニガヨモギが主成分のアブサンをオーダーした。聖女の溜息、もしくは不在、を語源とされている薬草酒だ。ハイになるツヨンという成分から飲酒を禁じられていたが、81年にWHOの見直しにより解禁となった。ウ゛ェルレーヌやロートレックが身を滅ぼした酒だ。現在はツヨンの量が10ppm以下に抑えられているためにあまり役にはたたないが、強い酒であることにかわりはない。ppmとはピーターポール&マリーのことではない。悲惨な戦争は名曲だが、アブサンとは関係ない。10ppmとは濃度1%のことだ。たとえ1%の相互不理解によって争いが起っているのだとしても、ピーターポール&マリーの悲惨な戦争とアブサンと現実の戦争と彼が起こした犯罪と地震の間には何の関係もない。悲惨な戦争と現実の戦争には関連があるという幻覚に騙されてはいけない。それぞれは個室、の出来事なのだ。壁は何事をも通さない。 #
by tokyo_org
| 2005-08-05 20:00
実に空しい。彼はそう思った。金魚の泳いでいない水槽だ。猫も寄りつかない。自動的に流れる水に手を浸し、どうしたらいいか考えた。地下には何かえたいの知れない匂いと存在感がある。蛍光灯が何度か点滅し、少し大きい震動が巨人の一歩のように訪れた。彼はよろめいた。壁は生き物のように動いていた。さっきの余震だ。しかし余震というにはあまりにも大きい。彼のコンタクトレンズは激しい瞬きによって排水孔の中に片方流れ落ちてしまった。レンズは何も映せない闇の中で彼の所有を離れた。 トランクの中で清水は深い眠りの中にあった。眠りもまた、彼の侵食がない聖域だった。彼はフレディではない。清水は眠りの中で父親にイカされる夢をみていた。父のペニスにはコックリングがつけられている。パルジファルがどこからか聴こえていて、彼女は声をだすことが無駄だという絶望感につつまれている。それは砂嵐やオイルサーディンの中のいわしと同じだった。 トーマスベガスは唾を吐いた。その唾は、うまくきれずに唇の端から垂れ落ちた。他ならぬ行為と自分自身への唾だったはずなのだが、それさえも彼の自在にはならなかった。 #
by tokyo_org
| 2005-07-29 20:00
| 第一章 Opera City
排泄と行為、それは金魚の糞のようにくっついている。行為をすれば排泄で、排泄をすれば行為なのだ。言葉も同じだ、語れば嘘になり、嘘は即ち語りとなる。しかしながら行為は嘘ではなく、排泄もまた真実だった。オペラシティにくる途中、金魚柄のかわいいキャミソールを着た女の子を見かけた。自分もまっとうな生活をして、まっとうな人生を歩いていたら、かわいい女の子とデニーズで夏野菜と海老のアジアンバーグを食べて、部屋でラストサムライとか見ながら乳首を噛んだりフェラチオさせたりしているんだろうなと思った。黄色いアロハシャツを着て、カラオケでBEGINの恋しくてを歌ったり、生ビールでほろ酔いのまま、嵐のくる前の国道を全速力で走ったりしているんだろうとも思った。テンガロンハットの怪物みたいになってしまった今では、遠い蝉の鳴き声みたいな感情だと思えた。 便所には便所の掟がある。ここではモーツァルトのクラリネット五重奏曲を弾いてはいけないし、長崎産真ハタのロースト豆苗のソテースパイシーセサミソースをグリルしてはいけない。そこはただ、スカトロジーだけの世界だ。もし、君がごめん。と言っても、世界は笑ってくれない。そして もし、君がありがとう。と言っても、世界はおそらく、僕の知る限り、ありがとうとは言ってくれない。 彼の背後のドアがひっそりと開いた。大きな鞄を持った男だ。まるでそれは爆弾がはいっているかのように大切そうに持っている。実用的な牛革のバッグは沈鬱な九三式酸素魚雷の姿を思わせた。ニュージャージーやキーポートに住んでいたら、きっと見たであろう回天だ。日本では周南市にあるがレプリカだ。“天を回らし、戦局を逆転させる” “潜るなら 死んでしまえ ホトトギス” トーマスベガスは、実に表情のなくなっている自分の顔や服装を眺めた。そこにはただ、空虚な人間の空虚な心が投影されていた。退屈になってしまった日本人のマクドナルドの包紙よりも意味のない影だけが映っていた。彼の肉体はゆっくりと鏡の前に倒れこみ、やがて鏡の中にチーズが溶けるように埋まってゆく。鏡がチーズなのか、彼の肉体がチーズだったのかわからない。彫刻のように体の半分だけがすっぽりと鏡の中に溶け込んでしまい、即身仏のようにICONになってしまえばよかった。が、残念ながら彼はまだ生きている。 #
by tokyo_org
| 2005-07-22 20:00
| 第一章 Opera City
◆ 設立の趣旨 日本トイレ協会は1985年5月、総合的なトイレ環境の改善とトイレ文化の創出をめざして、国、自治体、民間企業、研究者、一般市民、マスコミなどの有志によるネットワークの中から生まれました。身近な公衆トイレの改善運動から始まった活動は、トイレに関する情報収集、調査・研究へ、さらに環境、都市計画、防災、教育、健康、福祉、産業などの関連分野にも活動領域を広げています。 一方、この間に数多くの国際シンポジウムや海外トイレ調査などにより国際交流も深めてきました。トイレ問題をとおして社会的課題に取り組む日本トイレ協会の考え方・活動は、フランス、シンガポール、韓国、台湾、イギリス、ロシア、フィリピンなど諸外国にも波及し、各国にトイレ協会が設立されています。 日本トイレ協会は設立以来、立場や分野を超えて自由闊達な雰囲気づくりを心掛け、非営利の任意団体として活動しています。 ◆ 活動の経緯 ■ 毎年、いい11月トイレ10日を「トイレの日」と定め、自治体との共催で「全国トイレシンポジウム」を開催してきました。また当協会は、トイレに関する調査・研究や啓発・普及活動とおして、トイレ改善の情報センター、コンサルタント役を担ってきました。 ■ この間、自治体では公共トイレの改善に積極的に取り組んできました。国も都市公園や自然環境でのトイレ整備、高齢者・障害者対応、学校や公共交通機関のトイレ改善などの施策を講じてきました。 ■ 一方、デパート、コンビニ、遊興施設、公共交通など一般利用の民間施設でのトイレ整備が進み、職場のトイレも改善されています。社会ニーズに応えて、節水型・環境配慮型トイレの普及、仮設・移動・携帯型トイレの製品開発、自己処理型トイレの技術革新が進んでいます。 ■ 当協会は独自に活動するとともに、官・民と協力してシンポジウムや研究会の開催、調査研究、設計デザインなどの活動をとおして、公共空間や公共施設のトイレ改善に努めてきました。また、トイレ問題を通して、自然環境の保全と利用、公共空間でのユニバーサルデザインの導入、安全・安心のまちづくり、学校・職場環境の改善、衛生的な地域社会の確立に向けた国際協力活動を展開しています。 ■ 日本でのトイレ改善の動きは海外からも注目され、多くの国際交流が生まれました。1989年、92年には日仏トイレフォーラム、ドイツやスイスでのシンポジウム、94年に香港、95年に台湾、96年に中国とそれぞれ技術交流・支援、2000年、01年には「日韓トイレフォーラム」を開催しました。 ■ 日本で始まった国際トイレ交流は「World Toilet Summit」等の開催につながりました。96年に香港、01年にシンガポール、02年に韓国し、その時、「world Toilet Organization」が設立されました。03年に台湾で開催され、そして、04年に中国、05年に英国での開催が予定されています。 (参考・出典 資料 http://www.toilet.or.jp/) 彼は、排泄と行為の関係について考えてみた。 #
by tokyo_org
| 2005-07-15 20:00
| 第一章 Opera City
彼は地下駐車場の闇と空洞を愛していた。開いた口を閉じ、ゆっくりとヴィッツの前まで歩いてきた。まるで空港でフライトを待つ気分だった。彼は、海外旅行に1度だけ行ったことがあった。チャイナ・イースタン・エアラインで成田を発ち、浦東空港から路線バスに乗り、朝の魯迅公園を訪れた。どうして魯迅公園に行きたかったのかわからないが、地面に水で文字を書くおじさんを見たかったのだ。書道の経験はなかったが、父親が国語教師をやっていたので、書というものに対するアレルギーはなかった。魯迅公園の正門から入り、右手の魯迅記念館を眺めながら、緑の芝生がまるでアメリカのホワイトハウスのようだと思った。また太極拳やダンスをする人々で溢れかえる様は、どこか70年代の日本のラジオ体操のようだとさえ思わせた。入場のために支払った人民元は、わずか日本円で30円だった。トーマスベガスは、1937年の上海事変が関東軍参謀の謀略によって本当に引き起こされたのかどうか、今や知る由もない、と思った。日本は、托鉢僧襲撃事件の後、陸軍大将・白川義則、中将・植田謙吉率いる第九師団を中核とした上海派遣軍を戦線に投入する。この上海における日中両軍の戦闘の間に日本はハルビンを占領し、満州国を樹立させるわけだが、川島芳子が西太后の縁者であること、また西太后が他の妃の四股を切って壺の中に入れていた逸話などに思いを馳せると、個人史と世界史が複雑に絡み合っているとしか思えなかった。 そして、彼はゆっくりと現在の状況にリバースした。興奮状態から、やや覚め、今や、人間のはいったトランクを持ち歩いている自分が恐ろしくて仕方なかった。車のキーを取り出し、ロックを解除する。トランクルームにトランクを入れ、右側の席に駆け込む。気だるい空気の味がした。迷っている暇はない、はやくここから出なくてはいけない、そう思うほどに指先が震え、キーをうまく挿入できなかった。右手に左手を添え、慎重にキーをまわした。エンジンはうまく始動せず、ククククク、ククククク、とヴィッツは麗らかな囀りを響かせた後、完全にその機能を停止した。彼は車ごときに虐げられたことが許せなかった。怒りがエクトプラズムのようにこみあげてくると、彼もまた沈黙した。感情と、蛆虫のようにわきでてくる不安にどうしていいのかわからなくなったのだ。罪悪感ではなく、恐怖心が嗚咽を導こうとしていた。 #
by tokyo_org
| 2005-07-13 20:00
| 第一章 Opera City
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